映画「響-HIBIKI-」あらすじと感想

2018年公開の映画。
漫画が原作の作品です。

私は、欅坂46の平手友梨奈のファン

その漫画は読んだことがなく、ほとんどストーリも知らないまま、映画館に一人、足を運びました。

映画冒頭から、小説にしか興味がなく、他人や世界、さらには自分にも興味がないというような響の目に惹かれました。

元々、欅坂46の大人や現代社会に反抗的で鬼気迫ったパフォーマンスをするところが好きな私にとっては、ドストライクだったようです。

響の時に突拍子もない行動

例えば、本棚を倒したり、屋上からすんなり飛び降りたり、人のカメラを道路に放り投げたり。

その中でもすごいのが、記者会見中に記者を蹴り飛ばすところ。

あのシーンは迫力があり、思わず、よくやった!と叫びました。

映像もスローなどを混ぜてよくできており、見ごたえがありました。

しかも、記者を蹴り飛ばした理由が、自分のことを悪く言われて腹が立ったとか、自分の作品について嫌なことを言われたとかではなく、響の担当編集者である花井ふみ(北川景子)のことを悪く言ったからだと、不器用な言い方で言うのです。

なんて素直なんだ。
それを聞いて、花井ふみも何も言えません。

まさか、自分のためだったとは。響はそういうところがあるんです。

私の友達のことを悪く言うのは許さない、という熱い思いが。

一見、とても冷めているのに、実は誰よりも大切な人たちのことを思い、守ろうとします。

そのギャップも響が大好きなワケです。

常識にとらわれない響

とはいっても、普通、大切な人のことを大勢の人の前で悪く言われたら、腹が立って、蹴り飛ばしたくなる気持ちもわかりますが、その感情はぐっと押さえて、その場をしのぐのが無難ですよね。

というか、それが常識です。

響はその常識があまりないようで、突拍子もない行動をしてしまうのですが、それを見ていて、気持ちがいいと感じたのは私だけでなく、多くのヒトが感じるのでは?

そう感じるのは、そうしたらその後どうなるのか、誰かに迷惑がかかるからと考え、結局できていないことが多いからではないでしょうか。

欅坂46のデビュー曲、サイレントマジョリティー

その中にこんな歌詞があります。

「先行く人が振り返り、列を乱すなと、ルールを説くけど、その目は死んでいる」

私はこの映画をみながら、この歌詞を思い浮かべました。
人を蹴ってはいけない。

そんなことは大人であれば誰しもが知っている社会のルールです。

でも、そんなルールに縛られた大人の目は死んでいる。

映画では、人を蹴り飛ばすというわかりやすく、ショッキングな表現をしていますが、私たちの日常のなかにもたくさんある気がします。

学生であれば、髪を染めるな、スカートを短くするな、化粧をするななどと、つまらなそうな顔をした教師が言う。

それが学校の規則だから、決まりだから、ルールだからと大人たちが、詳しい理由も教えずに、ルールというレールに乗せようとする。

大人は、相手が子どもだからと、詳しく理由を教えてくれない場面が多いと私も感じていました。

そんな小さなことから、子どもたちは大人を敵とみなし、心を閉ざしていくことも珍しいことではないでしょう。

少し話が脱線した気がしますが、とにかく響は自分の感情にまっすぐで、友達思いなんです。

そんな、不器用だけどまっすぐな響の姿が、死んだ目の大人になりかけている、または、すでになってしまっている人たちの胸に強く刺さってくれているのではないでしょうか。

映画を引き締める山本春平の存在

そして、この映画で忘れてはいけないのが、小栗旬さん演じる山本春平。

長年、芥川賞を狙う小説家。

出演シーンは多くなく、セリフも少ないのですが、さすがの存在感です。

主に響という人物を中心に描くこの映画で、山本は響とは直接関係のない存在で、踏切でたまたま出会うだけの人物です。

では、なぜこの映画に山本という存在が必要なのか考えてみました。

山本は黙々と芥川賞を狙って小説を書いているシーンがほとんどです。

その姿が、小説中心の生活をしているという点では響と同じなのですが、とても対照的な存在に見えるのです。

うまく言えませんが、素直に小説が好きで、それにまつわる人間関係の中で自分や他人の感情や思いを知って成長していく響と、芥川賞だけを狙って毎年毎年同じことを繰り返している山本。

そんな二人の踏切での緊迫した場面は、様々な思いが巡っていますし、とても好きですね(^_^)

この映画をもっと多くのヒトに観てほしい

さて、つらつらと映画「響-HIBIKI」の感想を書かせていただきましたが、女優平手友梨奈演じる響がとても魅力的なので、多くの人に観てほしいです。

自分の信念をしっかり持っていて、しかも常識にとらわれず、思うがままに生きている響の姿は、社会の檻にとらわれた生き方をしている方の心には、ぐっとくる何かがあると思います。

私たち大人はいつから、社会のルールにとらわれ、それに反抗することをやめたのでしょうか。

社会のルールはもちろん守らなくてはいけません。

しかし、周囲を気にしすぎて、素を出せなかったり、偉い人が言うことは絶対だから自分の意見は言わなかったり、そんな自分が嫌になることはありませんか。

この映画を観ると、そんな自分がちっぽけで、かっこわるいなと感じます。

いい意味で、若いころの反抗心や大人への警戒心が思い出され、ある意味フレッシュな気持ちで明日からの人生を過ごせるような気持ちになる映画だと思います。

欅坂46の雰囲気や楽曲が好きな方は、とても好きな映画になると思いますのでぜひご鑑賞いただけたらと思います。

映画「響-HIBIKI-」ファンの一人として、感想を述べさせていただけたことに感謝し、これから5回目の鑑賞をすることとします。

また、一人でも多くの方が、明日からの社会生活をできるだけ、自分らしく、楽しく過ごせますようお祈りいたします。

手越祐也主演、重松清原作の「疾走」

この物語は、優秀な兄を持つ家族が、放火犯になってしまった兄がきっかけで、家族がどんどん壊れていって、居場所が、「浜」の唯一ある教会だった主人公シュウジが、牧師さんと知り合って、聖書を読み、どうにかして自分の心を抑えようとします。

その牧師は、数年前に一家惨殺をした犯人ではないかと「浜」で噂があって、やがてシュウジは、その真相を聴く。それは、牧師の弟がした事件だったことを知る。

当時、弟には彼女がいた、兄(牧師)もその彼女の家族と仲良くなり、彼女のご両親は、弟より兄(牧師)の方を気に入っていた。

ある日、兄(牧師)は、彼女を誘惑した。

彼女もそれを受け入れた。やがてそのことを弟は知ることになった。
兄が好きだった弟は、その兄に対する怒りを、彼女や彼女の両親にぶつけた。

一家惨殺。
しかし、兄(牧師)は、彼女の心を傷つけてはいなかった。合意の上だった。

弟は、大阪の刑務所に入って、死刑が決まった。

シュウジは弟に会いに行くが、そこで弟に「俺とお前は一緒だ。からっぽ」と意味深な言葉を言われ、激しい恐怖を抱く。

そしてシュウジは、昔、自転車のチェーンが外れたときに、やくざの鬼ケンに助けてもらい、トラックに乗せてもらった。

艶めかしい女、アカネと出逢う。

何年か経ち、鬼ケンは、森の中で、縮こまった死体で見つかった。
その後、シュウジは、高校生になり、教会の前でアカネと再会し、アカネはやくざの一番やばい人の女になっていた。

そして、ここの土地は、再開発され、リゾートホテルになってしまうという。でも、牧師が出ていかないからとてこずっていた。

そして、鬼ケンのこと覚えてくれてホンマにうれしいわ。といい、何かあったら頼りにしぃとアカネの名刺を渡された。

教会には、エリというクラスが一緒の女子がいた。

エリは、自慢のポニーテールを学校の規則で先生に切られそうになるが、その前に教室でバッサリ切った。

シュウジは、体育の時間、ポニーテールが揺れるエリを見てた。
エリの両親は、一家心中をし、エリだけが生き居残った。

牧師さんに「運命と宿命の違いは何ですか」と聞かれたときに、宿命は怖い感じがすると答えた。
牧師さんは、人生をさいころの升目に例えた。

エリの両親は、たまたま自殺という升目に止まってしまった。エリの人生はまだ、進みますと励ます。
エリとシュウジは走るのが好きだった。

ある日、体育の時間に、エリは、瓦礫を積んだトラックの瓦礫が落ちてきて、足を骨折。
そのトラックは、リゾート開発のやくざのものだった。

エリを預かる親戚には、大金が入ってきた。

エリは初めて親戚の役に立てたと嘆いてた。

シュウイチは勉強が出来た。
でも高校入学後、授業についていけなくなり、ある日カンニングをした。

いじめの対象になった。

そこからシュウイチはおかしくなって、真夜中に自転車で、どこかに行く。
やがて、どこかで火事が起きる。

シュウジのクラスでは、シュウジの友達が疑われたが、本当の犯人は、シュウイチだった。

シュウジは、みんなから赤犬(放火魔のこと)と呼ばれ、疑いをかけられた友達を中心にいじめを受けた。

そして、エリは、東京に引っ越すことが決まる。
シュウジの家は、兄は壊れ、父親も母親も蒸発して家族崩壊していた。

すべてに絶望し、東京に行けばエリに会えると信じ、死刑囚の牧師の弟の面会の後、アカネに連絡して、大阪に来た。

アカネとシュウジは居酒屋に行き、アカネの男「新田」に合わせる。

けど新田は相当やばいやつで、シュウジにトイレで酒を瓶ごと飲ませ、泥酔させられた。

そして、目が覚めると、女の子が腰を振りながら、ベッドに居た。

その女の子は、大学の先輩に売られた子だった。
そして、その部屋には、アカネもいた。

その女の子は、「新田を殺さないか」と持ち掛ける。
生きていても地獄というアカネの言葉で、シュウジは新田殺しを決意。

アカネが「自首するから、シュウジは女の子と逃げ!」と言った。

新田の手下に見つからないように逃げるが、女の子は捕まってしまい、後日、森の中で遺体となって発見された。

そしてシュウジは、道端に落ちていたケータイで、エリと連絡をし、東京で会うこととなった。

エリは、東京で、おじさんのおもちゃにされていた。

そのことを知ったシュウジは、おじさんを刺してしまう。
逃げ切れるとこまで逃げ切って、かつての家にたとりつき、自ら家をも燃やしてしまう、

そして警察が来て、運悪くシュウジは、心臓にけん銃の球が当たってしまい、死んでしまう。
そこでシュウジの人生は終わったのだけれど、アカネがシュウジの子を産んでいた。

そして、牧師、アカネ、エリ、そしてシュウジの子供は、教会の周りを目いっぱい走っていた。

という、誰も幸せになれない暗く絶望である。

だが生きることは何か、人はなぜ人を殺すのか、なぜ人は人を殺しちゃダメなのか、そして、そんな世の中でも生きていれば、光が見える事を伝える作品でした。

原作は、本当は、更に事細かに人間の嫌な部分やもっと絶望的になることが書かれていますが、映画ではマイルドになっています。

本当は映画より本をみんなに読んでもらいたい。

実はこの主人公は、’90年代に起きた池袋無差別殺人事件を題材としています。
彼がどう人に絶望し、殺人まで起こすようになったかが、書かれています。

しかし、どんなに人に絶望しても、人に憎しみを抱いてはいけない、自分も幸せになれないから。

この映画の見どころは、死刑が決まった弟がシュウジに、「俺とお前はかおんなじだ。からっぽ」というセリフがあるのだが、どう同じなのか、なぜ空っぽなのか、考えれるところと、牧師さんは、どんな話でも聞き入れて、決して絶望させない、必ずシュウジの近くにいてくれる、どんな時も。それが、シュウジのただ一つの救いだったのかもしれないと私は思いました。

人の生き死にに関わる作品。

映像も内容も暗いけど、なぜか解ってしまう自分がいて、へこんだとき、落ち込んだ時、死にたいと思ったときは、必ずこの映画を観ます。

『ラブライブ!The School Idol Movie』感想

スクールアイドルμ’sの解散を決意した穂乃果たちのその後のお話です。

廃校を阻止しようと1年間頑張ってきた穂乃花たちへのご褒美のような時間とμ’sでいられる最後の瞬間までを描いています。

また、次のシリーズへと夢を繋いでいくお話でもありました。
μ’sを愛してきたすべての人にとって宝物のような奇跡の青春物語のラストストーリーです。

アニメを見ていなくても楽しめる内容

映画の内容は大きくニューヨーク編、帰国編、スクールアイドル編に分けて見ることができます。

まず、アニメのラストの謎がμ’sへニューヨークから招待状が届いたことだったと分かります。

これをきっかけに卒業とラブライブ優勝で終わったはずだったμ’sの時間は再び動き出します。

ニューヨークシーンは映画らしくとても華やかでした。
初めての地で見せる9人の素顔はそれぞれ違っていて面白かったです。

特にお米がなくて悲しむ花陽が可愛かったです。

寂しさを感じながらも新しいものに触れてきらきらしているμ’sの姿が印象的でした。

NYと秋葉原を似ていると捉える視点が彼女らしかった。

しかし、旅行中に穂乃果が地下鉄で一人乗り間違えて迷子になるシーン。

そこで映画の雰囲気が少し変わりました。

ここがこの映画でのかなり大きなカギの1つだったのではないかと思っています。

穂乃果との出会い

8人とはぐれてしまった穂乃果はある女性シンガーと出会います。

ブロードウェイの路地裏で歌う彼女に穂乃果は惹かれ、足を止めます。
そうしてしまうのも納得な歌声でした。

この女性シンガーが何者なのか実在していたのか穂乃果の空想だったのかははっきりとは明かされていませんが、大人になった、あるいは穂乃花の心の中にあるもう一人の穂乃果のような人物かなと思いました。

終わりの答えを出していたはずの穂乃花にも色々な想いや迷いがあり、そこから生まれた出会いだったように見えました。

不思議なシーンでしたが、アニメにはなかったこの演出がたまらなく好きでした。
そしてこの出会いが後半に繋がっていくのも素敵です。

帰国後、μ’sは大ブレイクしていました。

μ’sの解散は決定していて来年度にはもう存在していないことを他のみんなは知らなかったため、続けてほしいと理事長やA-RISEから言われてしまいます。

この展開は少し予想外で驚きました。

周りの声に揺れるμ’s、特に穂乃果が迷う姿にスクリーンに引き込まれました。

雨の演出に加えてまた女性シンガーが出てくるところや冒頭の幼い頃の思い出のシーンとつなげる構成がすごかったです。

幼い穂乃果が繰り返し諦めずに水たまりをジャンプする回想シーンには、穂乃果らしさとラブライブの持つ魅力が込められているように見えました。

穂乃果が結論を出したのと同じ頃、絵里たちも集まり同じく結果を決めていました。

ここでの3年生の絆やスクールアイドルが好きという気持ちが見えてくるところも好きでした。

解散する答えを改めて出しながらも解散をネガティブなものにしないと考えているところや次の目標を見つけ出しているところに穂乃果のカリスマ性を感じました。

そしてライブをやると言い出した穂乃果と共に今を精一杯頑張ろうとするμ’sのメンバーの姿はずっと応援していた大好きなμ’sそのものでした。

短い時間で多くのスクールアイドルを集めて楽曲や踊りを考える様子はかなり駆け足で大変そうでしたが、すごく楽しそうでした。

再びここで登場するツバサがかっこよかったです。
μ’sとA-RISEが協力するシーンはファンにとって嬉しいものでした。

最後はμ’sのためでなく、スクールアイドルのためのライブであることが次のシリーズに向けて動いているように見えました。

しかし、不思議と悲しくなくスクールアイドルが好きだという気持ち繋がり続いていくことに希望を感じました。

μ’sを中心に全国のスクールアイドルや街の人々も描かれていてすごくにぎやかで温かくこれまでの頑張りを想うと胸が熱くなりました。

街も女の子もすごく輝いている最高のクライマックスでした。

最後の幼い少女の穂乃花がジャンプを成功して見せる笑顔もまた輝いていました。

まさにシリーズの集大成といえる素晴らしい映画でした。
お話の内容以外にもライブシーンも素敵でした。

音楽も最高☆

使われた曲はすべて新曲でストーリーと上手くリンクしていました。
ライブシーンだけを見てもその完成度の高さに驚かされます。

ミュージカル的な演出も加わっていた学年ソングは歌いながら踊るシーンを手書きで描かれていたのがすごかったです。

見ていて楽しいだけじゃなくキャラクターの心情もより伝わってきました。

不安から明るい気持ちへの切り替わりや驚きと嬉しさの表現、次に進む一歩など挿入歌が入ってくる場面もよく、歌詞もマッチしていました。

見ていて飽きがこないのもよかったです。
ライブシーンでの2曲はどちらも新しさがありよかったです。

特にニューヨークでのライブシーンは豪華さと華やかさがありました。
衣装や髪型もすべて凝っていて可愛かったです。

後輩である雪穂たちスクールアイドルのシーンから繋がり、映画の中で一番最後に流れた曲はμ’sの曲でした。

すごくきれいな光の中で世界で一つだけのμ’sの歌が始まります。

μ’sの青春の日々や今ある想い、これからに向けての希望などすべてが詰まっているような一曲に涙が止まりませんでした。

歌詞の中にメンバー一人ひとりの名前が入っているのもよかったです。

ライブシーンが終わった最後には無造作に脱ぎ捨てられたμ’sの練習着が映し出されていてμ’sの活動が本当に終わったことを感じました。

現実世界でも終わりを迎えたようで泣けてしましました。

羽の演出も次への繋がりを感じて感動的でした。

まとめ

人気作品を終わらせるのは大変だと思っていましたが、ラブライブらしい最後できれいに完結されたことが本当に嬉しかったです。

青春の日々を精一杯頑張る少女たちの姿に元気と感動をもらえます。
多くの人にぜひ見てほしい作品です。